第30回 府中文化村

「福島原発事故の本当のところ

(2016.11.18開催)

 

2011年3月11日

みなさんは大震災のとき、何をしていましたか。

被災した地域、人々の報道と地震と津波という凄まじい爪痕に私たちは言葉を無くしました。

付随しておきた福島第一原発事故により、私たちの住む日本は混乱を極めたことが真新しい記憶となっています。

 

そんな状況を、国のリーダーはどのように感じたのか

首相としてどのように国を指揮したのか

 

今回の文化村は、当時、国のリーダーであった菅直人元首相をお呼びして3.11当時の状況や、あのとき福島第一原発で何が起きていたのかなど、あのときの想いを語っていただきました。

 

第94代内閣総理大臣として、当時国会に議論を交わしていたところに地震が発生したといいます。

一国民としても個人の不安を抱えながらも議論は中断、さらに混乱の収拾を図り対応に追われるという状況だったようです。

 

震災による原発事故により、現地住民の避難指示をするため真っ先に福島第一原発に向かい、正確な情報確認を行いました。

 

報道では、菅元首相が現場に訪問したことにより反って混乱を呼んだのではないかと言われることがあります。

しかし、そこには現場に行かなければならない原因が存在していたと菅元首相は言います。

官邸で指揮を執っていた菅元首相は、現場と官邸を繋ぐ伝達役に状況を何度も確認したが、東電側の情報が一切入ってこなかったと話します。

現場は一番混乱していることはわかっていながら、避難指示をしなければならない立場として、危険を顧みず現地入りを決めたそうです。

しかし、現地専門家もこの未曽有の事態に正確な状況把握ができず、後手後手になってしまったことは事実です。

 

菅元首相が一番の「決断」を余儀なくされたのが、ベントと呼ばれる原子炉圧力制御のための排気作業がうまくいかず、手動でのベントを指示させるか。といったものだったようです。

当初ベント作業によって状況は解消されると言われていた原子炉ですが、実際は作業が難航し東電側より撤退したいとの申し出を受けたときでした。

「作業員を危険域へ派遣する指令を出す」か「東電含め、福島原発を放棄し撤退させる」のか、国のリーダーが一国民を国の事故被害を最小限に食い止めるよう被爆の被害が確実とされる現場に向かわせることと、福島を犠牲にして長きに渡る被爆地として放棄するべきか。

 

この状況は、道徳や倫理学の域を超えたある種の特殊状況だったことは間違えありません。ですが、首相としてどちらかを文字通り決断しなければならない。

想像しただけでも目を背けたくなるような事態です。

結果、東京電力作業員として手動ベントの指令を出すわけですが、この際高齢の東電社員や引退を目前に控えた玄人たちを率先して協力するように鼓舞したそうです。

これは、未来のある若い作業員を被爆に追い込み、その子孫までも被害にあわせることを避ける苦肉の策での指示だったと言います。

 

国のリーダーである前に、一日本国民の菅元首相ですが、日本の内閣総理大臣としての役割を果たすことに死力を尽くしたのだと感じるからこそ、それ故にこの決断にて高齢の作業員が犠牲になること、これは善悪無記の道徳判断だったと私は考えます。

 

さて、ここで原発事故について様々な反応や報道がある中、当時の首相としてなぜこのような混乱が収まらない事態となったのか。

それを菅元首相の目で見たことを踏まえて三つの原因として説明していただきました。

 

①現場の判断が誤ったものだった

 ※テクニカルな現場判断ができず、専門家も予想ができない事態となっていた

②現場から官邸への適切な情報伝達が行われていなかった

 ※官邸に繋ぐ原子力安全保安院の方が、まったくの素人で経産省のキャリア人材だった

③東京電力側が情報を隠匿していた(情報開示をしなかった)

 ※現場と官邸で24時間テレビ会議が行われていたのにも関わらず、震災当日の記録を未だに提出していない

 

震災に関しては天災のため、神のみぞ知る世界であることは自明の理です。

ですが、危険性の孕んだものが事故にあった、または事故後の対応に関して何の対応策も打ってなかったことなどは紛れもなく「人災」で対処可能だと考えられます。

 

東電が悪い。原発を作った国が悪い。などという話ではなく、

東京電力の専門家ならば、その任にあるものが特殊な責任を負う。

その職務とある種の英雄的行為を遂行する。

自益だけでなく公共的価値を守り促進することで社会的責任を果たす志が始まりの時点で欠如していたのだと感じざるを得ない事態だということです。

自益を考えなければ、海水をくみ上げるコストを負担に考えず、内陸側へ建設する判断が下せなかったことや情報提供による、日本の資材を守ることに徹することができないことは、悲しいかな怠慢と言わざるを得ないと思われます。

 

情報はそれぞれ飛びかい、ものによりバイアスがかかったり正確な情報を取得することができないことから、この思想も歪んでいるとしたとしても

これからの私たちの生活をより善いものにする志を持ち、その志の下行動していくことができるように、この事故を教訓にしていきたいと思います。

 

また、当時の官邸や原発の現場でのやりとりや状況をきめ細かく描いた映画劇場作品『太陽の蓋』(2016太陽の蓋プロジェクト)では、内閣総理大臣を始め関係者すべて実名で描かれており、当時の関係者からの話を忠実に再現している話題作です。

今を代表する役者揃いですが、内容は濃いものとなっております。

こちらもお時間に余裕があり、ご興味のある方は是非ご覧いただき、当時の報道とどう違っているか、政府はどのように対応したのかなどを鑑賞いただくことをお勧め致します。