第33回 府中文化村

「異文化コミュニケーションスキル

(2017.2.15開催)

 

国際交流・異文化コミュニケーションと聞いてどんなことを想像し、どんなことを考えるでしょうか。

普段生活している中で職場に外国人が居る、もしくは生活圏に外国人の隣人が居るといった環境の方でなければおそらく「楽しそう」や「交流してみたい」などの好印象を持つ方も多いのではないでしょうか。

しかし、実際には異なる文化圏の人とのコミュニケーションはそんなに簡単なことではないようです。いよいよ三年後の2020年に控える東京オリンピックまでに普段の生活に様々な異文化コミュニケーションの機会が訪れるかもしれない私たちに、今必要な「異文化コミュニケーション」についての知識や知っておかなければならない重要事項について、今回は府中市にある東京外国語大学総合国際学研究院教授の岡田昭人先生をお招きし、異文化コミュニケーションとは何かを講演いただきました。

 

岡田教授は、比較・国際教育学、国際理解教育を専門とし、オックスフォード大学にて博士課程を修めた後、東京国際大学にて講師、助教授を経て2013年より現在の教授に就任されています。

自身も海外の大学での研究生活の経験などから、異文化コミュニケーションとそれに付随する障害と課題や国際教育について研究をされています。

 

さて、「異文化コミュニケーション」と聞いてその意味するところを誰もが直観的に理解することは容易だと思われます。

大まかな定義としては「異なる文化圏の人たちが出会い、メッセージをやり取りすることによって相互に何らかの影響を与えあう過程ことすべてを含めていわれること」をいいます。

この「文化圏」は国と国の問題と思われがちですが、決して国に限らず研究されている幅も広いといいます。

こうした異文化間のコミュニケーションに生じるノイズ(コミュニケーションを妨害するもの)が一体何なのか、どこから来るのか、どういったことで取り除けるのかなどを考える学問だそうです。

 

異文化コミュニケーションにおけるモデル

さて、実際に異文化コミュニケーションをすることになった、もしくは海外に留学するなどといった状況になった際、基本的に「わくわくする」「新たな出会いがある」など「気分の高揚感」が表出するといいます。これは、異国の地に向かう不安とこれからの未開の地への期待と高揚感で「ハネムーン期」と呼ばれるこの高揚感は三カ月ほど続くそうです。

しかし、実際に異国で生活している中で自分の想像外のことに直面したり期待していたものと違うものをみたりすると、そのギャップから気分が急降下します。これを「カルチャーショック」といい、文化の違いに心理的なショック状態となることをいうそうです。

カルチャーショックという言葉は普段何気なく使っていることも多いと思われますが、実際にはこうしたショック状態を指す言葉のようです。

このカルチャーショックもしばらくすると平常心に戻っていき、ここから母国に帰国するときの安堵感や帰国の楽しみでまた気分は高揚状態になっていきます。

しかし今度は、普段当たり前だと思っていたことに違和感を覚えたり文化や価値観に対して疑問や抵抗感が湧いてきたりすることがあるそうです。これを「逆カルチャーショック」といい、自身に対する心理的ショック状態に陥りまたしても気分は急降下してくる状態になるといいます。

こうした逆カルチャーショックもしばらくすると平常心に戻り、再び気分は高揚してくるといった感情の勾配は「異文化コミュニケーションの異文化適用モデル」といい、W型の曲線で表されることが特徴とのことです。

 

異文化コミュニケーションの障害

岡田教授によると、異文化コミュニケーションを妨げるものとして「ステレオタイプ」と「スキーマ」を挙げています。

「ステレオタイプ」とは、「ある集団やカテゴリーに対する単純化された一般的イメージや信じられていること」とのことで、簡単に言うとあるものに関してある人たちに浸透している固定観念といったことでも知られています。これは人間が記憶するときの構造で大きな枠組み、カテゴリーとして記憶し理解してしまうことから発生していると考えられています。

これは、ある国をイメージするとき「~こういう国だ」「~人たちだ」と固定観念でイメージしてしまうことが相手へのミスコミュニケーションに至る一つの原因と考えられています。

また、「スキーマ」とは物事を理解するために用いる知識の枠組みのことで、過去の反応や経験から得た情報から新しく入ってきた情報の枠組みを予測したり期待したりすることで、ある状況によって当然だと考えられているものが相手には当然でない可能性があるため、これもミスコミュニケーションの原因の一つとして考えられているそうです。

 

岡田先生による例をあげれば、ある韓国人のご友人にキムチを振る舞ったところ食さなかったといいます。

このディスコミュニケーションでは、「韓国」=「キムチ」、「韓国人」=「キムチが好き」という、「韓国人は「みんな」キムチが好き」という勝手な先入観であり、実はその方はキムチが嫌いな方だっただけの障害が発生していたのです。

私たちが異文化コミュニケーションをする際は上記のシステムから他の文化、他の価値観を理解していないことがディスコミュニケーションに繋がってしまうことがあるということに注意しなければなりません。

 

非言語コミュニケーションと日常のコミュニケーション

コミュニケーションは何も言葉だけではなく、表情やジェスチャーなどによる「非言語コミュニケーション」という方法もある。

たとえば、表情において笑顔や口元の表情、私たちが何気なく伝えているジェスチャーの一つをとっても異文化圏の相手には私たちが思っている通りに伝わらない場合があります。

伝わらないだけならまだ良く、普段私たちが手で行う「OKマーク」も主に南米では女性に対する性的屈辱の表現であったり、「ピースサイン」も裏返すととても良くない表現に伝わってしまう恐れがあります。

こうしたミスコミュニケーションは普段私たちが理解している観念で相手に伝わると思い込んでいることが、そこにあるバイアスを認識できないということに繋がっているのではないかと思われます。また、時間に対する感覚的な部分も価値観の違う相手との大きなミスに繋がることにもなります。

 

異文化コミュニケーション理解に向けて

こうして見ていくと、「果たして異文化コミュニケーションを成立させることはできないのか」と考えてしまうところですが、そもそも、私たちが生活している生活圏やもっと大きな枠組みでいえば国などにはそれぞれ歴史的にも風土的にも慣習やそれこそ文化というものが存在します。同じ物差しでもないかもしれません。

哲学・倫理学での学問では文化相対主義の理論から非道徳的な行いを「文化だから仕方ない」などという見方は議論されるところですが、別の意味で異文化を理解するということは文化相対的で、他の文化圏には他の慣習があるということをまず理解することが大切かもしれません。

それは今まで岡田教授のお話にあったように、異なる文化の人とコミュニケーションをする際、それが言語的・非言語的であっても、お互いがお互いの物差しで情報伝達をしたらそこには必ずノイズが発生し、そのうちコミュニケーションをすることもできなくなるでしょう。いくら言語を勉強しても相手とのアイコンタクトや表情、ジェスチャーがコミュニケーションを遮断する要因となってしまっている可能性すらあるのです。

こうしたミスコミュニケーションから相互不理解状態のディスコミュニケーションへと変わる前に、まずは相手のことを知りそこから共通点やコミュニケーションタスクを広げ、お互いの距離を歩み寄ることができれば、文化の壁も薄くなっていくのではないでしょうか。

岡田教授によれば、異文化コミュニケーションは学習可能であり、異文化の壁を理解しお互いの共通点を探って相互理解していくことによってそこにはいつの間にか「新たな文化」が形成されていく。こうした実践を積み重ねるのが異文化コミュニケーションの学問だそうです。

 

冒頭でも問いましたが、私たちは異なる文化圏の方たちとのコミュニケーションに対する耐性を持っていない方が多いと思います。

そうした状況に直面したとき、コミュニケーションに失敗しただけならまだしも、必死に伝えようとしたジェスチャーや言語が文化の違いから相手を傷つけることが起きてしまう可能性があります。

私は日本に遊びに来た、もしくは日本に勉強しに来た外国の方にそのような思いはさせたくありません。日本に来てカルチャーショックを受けたことによるマイナスイメージ以外に日本人として接した相手を不快にさせたり傷つけたりすることがないように、異文化コミュニケーションの理解と、それを乗り越えられるよう学習することをこれからも続けていきたいと思いました。

 

最後に、東京国際大学といえばわが街府中市にある日本でも有名な大学教育機関です。

府中市に暮らす、または府中市で活動をする私たちにとっても誇りある施設であると同時に、なかなか交流を持つことができなかったのですが、異文化理解を深める良い機会として今後は交流の場や機会を増やして様々な課題解決に向けて活動を広げていきたいと思いますので、続報をお待ちください。